占い師 雪花 ( ゆきはな ) in 栃木

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カテゴリ:易の知識( 9 )

鬼を一車に載す

2011年4月8日 の asahi.com(朝日新聞社) の 原発の事故についての記事のタイトルです。

<引用>
 人類の歴史上、ルネサンス以後に広まった普遍的な新興宗教は「科学」だ。その進歩は常に人類に福音をもたらすと、万能の神のごとく絶対視されてきた。確かに今日まで文明の進歩に貢献してきた。
 その科学信仰が揺らぎ始めたのは、ヒロシマ・ナガサキの悲劇をもたらした核兵器の開発だった。科学が初めて人類を滅亡にさらすもろ刃の剣であることが証明されたからだ。
 それでも科学は核も制御できると人類は挑戦を続け、化石燃料に代わるエネルギー源として放射能を原子炉に閉じ込める原子力発電に踏み切った。その恩恵に浴している我々だが、原発事故で飛散した放射能に被曝(ひばく)したかどうかは視覚、聴覚、嗅覚(きゅうかく)、味覚、触覚の人間の五感では感知できない。怖い鬼を同乗させる「鬼を一車に載す」恐ろしさがある。

「鬼を一車に載す」という表現は 易経の中にあります。
38番目の卦 「火沢けい」の上九の爻辞にその文があります。
鬼とは幽霊のようなものです。
疑いの心をもって相手を見ると、相手の車を曳いているのは汚い豚、
その車には鬼がたくさん乗っている。弓をつがえて相手を射ようとするが
だんだん近づいてくると、それは誤解だとわかり、弓をおろす。
その相手は敵ではなく、結婚すべき相手であった。

というふうな、なかなか深い話なのです。

ネットのことわざ事典では下記のように書かれています。
鬼を一車に載すの意味
非常に恐ろしく危険なことのたとえで、一台の車に、鬼を一緒に乗せる意味。
   ことわざの出典 易経

確かに鬼を載せているのだから危険な状態ですが
易経では鬼と一緒に乗るという意味ではないので
ちょっと不思議な感じです。
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by yukinohana03jp | 2011-04-09 19:41 | 易の知識

易の書物-3 

易占と易経は完全に同じではないと思っています。
易占の基本は易経ですが、その解釈にはまってしまうと
いろいろなことにとらわれてしまうと思います。

私が師事していた先生は、易経の書物については、
それほど時間をかけてはいなかったような気がします。
もちろん占い師になるとしたら、易経の書物(経文+十翼)に向き合うのは
必然なことで、それは独学でできるということだったと思っています。
なにせ、たくさんの書籍が出版されていますから。

ただ、あまり卦辞の漢字一つ一つにこだわると
もっと大切なことを見過ごしてしまうということを伝えたかったのかなとも思います。
64卦の卦辞の文字数はさまざまです。
内容も、いかにも占いの言葉だと思えるような、情景が浮かぶものから
そっけなく、その言葉以外のものを読み取りにくいものがあります。
読み取りにくい辞は、似たような漢字が随所に使われており、
ついその順序にこそ意味が・・・と勘ぐってしまいます。
前にも書いたように、囚われの身だった後の文王が、仲間との伝言に使っていたという
説を読むと、だからこうなのかと納得したり・・・

この書はやはり不思議な力があると思います。
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by yukinohana03jp | 2010-07-22 22:28 | 易の知識

易の書物-2

中国の歴史の中での 「易経」(経文+十翼)の位置はどうでしょうか。

経文は紀元前1000年ぐらい、そして紀元前200年ぐらいまでに十翼が完成されます。
その後19世紀の清の時代までの2000年間。
「四書五経」と呼ばれる儒教の経典の一冊として、重んじられてきました。

「四書」は 大学・論語・孟子・中庸
「五経」は 易・詩・書・礼・春秋 

五経は儒教の教典として、当初は楽経を加えて「六経」と呼ばれていましたが
秦の始皇帝による書物を燃やし、儒者を弾圧するという事件により
楽経が滅びてしまったので、五経となりました。

ちなみに読み方は 六経(りくけい)と五経(ごきょう)です。
四書は(ししょ)
漢字は書くのも読むのも難しいですね。

易経は占いの書であったため、秦の事件を免れました。
よかった、と素直に思います。
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by yukinohana03jp | 2010-07-21 08:47 | 易の知識

易の書物-1

周易の書物は、経文と周易翼伝に分けられています。

■経文(けいぶん)
 経文は、64卦の占いの辞(ことば)です。
 人生において遭遇すると考えられる、さまざまな場面を
 64卦にあて説明されています。
 この卦辞は、周の文王が作ったと言われています。
 もちろん、長い間にはその辞は補訂されていったことも、想像できます。

■周易翼伝(しゅうえきよくでん)
 そして、経文を補佐するために、下記の10冊の翼伝があります。
 上下巻がありますので、実際は7種の書物になります。
 彖伝上下、象伝上下、繫辞伝上下、文言伝、説卦伝、序卦伝、雑卦伝。
 翼伝は、経文の理解を助ける書物であり、経文を鳥の胴体に見立てれば、
 鳥の機能を果たす翼の役にあたる書物といえます。
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by yukinohana03jp | 2010-07-20 09:05 | 易の知識

「易」という文字-2

「易」という文字が持っている内容は下記の通りです。
易簡、変易、不易。
簡単で、複雑に変化し、そして変わらない。

謎めいてきましたね。
これは、ある事象に当てはめるとわかりやすいです。

易簡…易は、自然界の原則を陰陽という二元で説明しているので
   簡単でわかりやすい。
変易…自然界は四季の移り変わり、昼夜、寒暖、全て変化している。
   易はその変化を解き、対応するみちを教える。
不易…自然界は常に変化しているが、冬が終われば春がくるように
   一定普遍の法則がある、易はその変化の中にある法則を説くもの。

易は簡単であるが、複雑な変化があり、変化していても一定不変の法則がある。

この3つの言葉は、易を考えるときの背景になります。
もうここから、易の不思議な、わけのわからない世界に
はいっていくことになります。
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by yukinohana03jp | 2010-07-19 08:15 | 易の知識

「易」 という文字-1

易という文字の字源には、二つの説が言われています。
ひとつは 「トカゲ」 、もう一つは 「日月」 です。

「易」という文字は、象形であり、上の「日」の部分が頭、
下の「勿」の部分が胴体・脚を表している、と言うのです。
トカゲは一日に何度も色を変えて生きていく、この姿が易に通じるという考え方です。

次の「日月」説は、「日」は陽をかたどり、「月」は陰をかたどる。
易は陰陽を根本にするものだから、日と月を合わせた文字であるという考え方です。

最初にこの二つの説を聞いたときには、
「日月」の方がきれいだし、わかりやすいと思いました。
しかし、易を勉強するにつれ、その奥深さと、
人をくったような、とらえどころのない姿から、
いまは「トカゲ」説に納得しています。
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by yukinohana03jp | 2010-07-18 07:24 | 易の知識

易の歴史ー3

64卦をつくった文王(姫昌)ですが、周の時代の前の 殷の時代の王の臣下でした。
その時の王(紂王)はたいへんな暴君で、姫昌はとらわれの身になってしまいました。
獄中に7年間いた姫昌は、易に熱中するふりをして、その才能を隠し、卦辞を作成しました。
卦辞とは64卦の説明をしている言葉です。
その卦辞は実は暗号の役目もし、外にいる仲間と情報交換をしたのです。
姫昌は出獄後挙兵し、紂王を倒し、周の時代をつくり、文王となりました。
易の卦辞はそういう背景もあったのですね。
しかし、卦辞が暗号とは・・、それでは占いの言葉としての意味は・・・

易は「経文」と「十翼」に分けられています。
「経文」は64卦の占いの言葉を書いたもので、
「十翼」はその補足や解説、易そのもののことを書いたものです。
「十翼」の作者は孔子と言われていますが、この説に対しては異論が大変多いです。
どちらかというと、孔子の名声にあやかって、後の人が
十翼を孔子が作ったと伝えたという気もします。

孔子が作ったのかどうかは別としても、何千年も伝えられてきた書物で
あることは間違いありません。
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by yukinohana03jp | 2010-07-17 09:16 | 易の知識

易の歴史ー2

八卦をつくったと言われている伏犠(包犠)は牛身人面といわれています。
伝説の話といっても、これを読んだときはさすがに驚いたのですが
ギリシャ神話にも、そういったものはあった訳だし・・と無理矢理納得。
でも、数ある神様の一人ならいいけど、一番上の神様なのに・・と
少し不思議な感じもしたのを覚えています。

さて、易には下記の言葉があります。
「易は深し、人は三聖を更(へ)、世は三古を歴(へ)たり」
三聖とは三聖人のことで、
八卦を作った伏犠、卦爻辞を書いた文王・周公、十翼が孔子
この3人がつくり、その間に3つの時代を経過した、という意味です。

つまり、いまの「周易」は周の時代(B.C 1050-B.C.250)の前半に
文王によって、いま伝われている64卦になったのです。
周の時代に作られたので「周易」です。
(いくつかの説がありますが、この説が一般的です)
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by yukinohana03jp | 2010-07-16 09:38 | 易の知識

易の歴史-1

私が専門にしている占いは「周易」です。

その歴史は、はるか昔の紀元前までさかのぼります。
一説によると、基になった「八卦」の考え方は紀元前3000年頃に
「伏犠」という神様がつくったと言われています。
でも、黄河文明が紀元前1600年頃から始まったと言われているので
3000年前に作られたという証拠はもちろんありません。
伝説なのでしょうが、その考え方が古くから存在し
時代を経て、少しずつ内容を整え、追記され、現在知られている形に
なったものと思われます。
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by yukinohana03jp | 2010-07-15 08:32 | 易の知識
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